院長、松野武のご紹介

院長ブログ

昭和63年 九州歯科大学卒
昭和63年 4月 浅草橋 宮地歯科医院入局
平成5年 松野歯科医院開設

・日本歯科医師会
・埼玉県歯科医師会
・埼葛歯科医師会
・埼玉インプラント研究会
・日本歯科漂白研究会
・POO デンティストクラブ(歯列矯正)
・日本アンチエイジング研究会

父親は馬が大好きで、日曜日になると、よく浅草まで馬券を買いに行っていました。

私も一緒に連れて行かれて、場外馬券場のそばにあった「花やしき」で父親を待っている間、遊んでいたのをよく覚えています。

あと、パチンコで景品におもちゃを取ってもらった事もありました。 


母の故郷は小説の「東京タワー」や「青春の門」でも描かれていた、九州の筑豊地方の直方という町でした。

夏休みになると母と二人で直方に帰省するのが楽しみでした。当時はまだ飛行機ではなく、寝台車でした。

母と二人、電車にゆられて行った夏の九州が大好きでした。 

一人っ子で甘やかされて育ったので、甘えん坊でわがままでした。

おもちゃが大好きで、一旦欲しくなると、買ってくれるまでおもちゃ屋さんの前で泣き叫んで親を困らせていたそうです。

家には12歳年上の従兄弟のお兄さんが一緒に暮らしていました。

お兄さんはとても器用な人でした。絵を描いたり、プラモデルを作るのが大好きでした。

そのお兄さんが折角作ったプラモデルを壊して、よく怒られていたそうです。 

この頃からスポーツなど、身体を動かすことよりも、プラモデルを作ったり、工作をしたり、手先を使うことが大好きでした。 もともと歯科に向いている気質だったのだと思います。

子供の頃からスポーツなど、身体を動かすことよりも、プラモデルを作ったり、工作をしたり、手先を使うことが大好きでした。

そこで、何か物を作る仕事がしたかったのですが、親戚や家族の薦めもあり、歯科医師になりました。

大学時代に所属していた軽音楽部ではドラムをたたいていました。

そして年に一度定期演奏会をしていました。

5年生の時に部長になり、その年の定期演奏会の企画運営をしました。

毎晩遅くまでバンドの練習したり、話し合ったり。

でも、その甲斐があってか、6年間で一番思い出に残るような、定期演奏会をすることができた事です。 

大学を卒業してから開業までは、本当にお金がなくて苦労しました。

将来独立するための自己投資と思っていました。貪欲に、勤めさせていただいていた医院の院長の技術をマスターしようと心がけていました。 

勤務していた医院に在籍中の5年間は一日も休むことなく、一切不満を言うことなく勤めさせていただきました。

自己研鑽とその機会を与えて下さった院長先生への恩返しの気持ちで自己実現を果たすことで、苦を快に昇華させることができ、乗り越えました。 

大学を卒業してから、一軒の歯科医院にて約5年勤務しました。

そこでは、優秀な技工士さんとタッグを組んで非常に精度の高い優れた補綴治療を行っていました。

総義歯の患者さんを診療後の夜遅くまで、患者さんが納得いくまで診させていただいたのを覚えています。

妥協せずに患者さんが納得するまで診察することの大切さを教えてもらいました。

勤務医として、5年が経とうとしていた頃、もう十分に、勤務させていただいていた医院と院長先生に恩返しができたという確信が持てました。

それと同時に、すべて自分の裁量で歯科医院を経営してみたいという気持ちが沸いてきました。

ちょうどその頃、自分の住んでいた場所のすぐ傍にとても開業に適した物件が見つかったので、そこで開業することにしました。

そこは駅からとても離れたところだったので、地域の方のために、一生頼りにされるようなホームドクターになろうと決意しました。

歯科医院であって歯科医院でないような医院でありたいと思っています。

治療だけでなく、そこに行けば元気になったり、優しくなったりするような歯科医院。

近くに行ったら、つい立ち寄ってみたくなるような医院でありたいと思っています。

歯科治療に関する事だけでなく、人生の節目節目の様々な喜怒哀楽を一緒に共有できるようなお付き合いをしたいと思っています。

すなわち、患者さんの家族のような存在になれればと思っています。

プロフェッショナルとして、すべての患者様に自分のできる安心の治療を提供したいと思っています。

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